ミニマルライフで単身赴任を乗り切る決心をする
物件を見ずに部屋を決めた
単身赴任することを決めると、すぐに物件探しを始めた。
条件は会社の規定の上限の6万円以内(駐車場代含)、月1回程度の新幹線での帰宅を考えると長野駅から歩ける範囲であること、トイレと浴室は別であること、程度にした。
広さや間取りは特にこだわらず、むしろ掃除や光熱費のことを考えると広くない方が良いだろうということでネットの検索条件からこれらは外し、勤務時間中にも仕事をするふりをしてせっせと物件探しに精を出すのであった。
探し始めた時期が1月中旬と早かったのが幸いし、駅から徒歩5分程度の所に好条件の物件を見つけ、すぐに不動産屋に電話して押さえてもらった。
「実際に見ないで決めて大丈夫なの?」と妻には心配されたが、不動産屋のサイトの部屋の写真を舐めるよう見て、周辺の様子はグーグルマップでチェックし、「大丈夫だろう」と判断した。候補の中では一番の好条件物件である。早くしないと他の人にとられてしまう!
結婚指輪さえも断捨離した
この頃我々夫婦は断捨離にどっぷりはまっていた時期である。
最初は僕がその数年前にやましたひでこさんとか、ミニマリストの概念に出会い、深い感銘を受けたのが始まりで、断捨離を始めた多くの人がそうであったように当時の妻や子供の反応は冷ややかであった。
仕方なくまずは自分の本とか洋服をせっせと処分してきたのであるが、ある日妻が「私もやってみようかな」と言い始めた。始めは僕のことをバカにしていたくせに…。しかしここが僕の妻の可愛いところでもある。
実際のところ、妻が断捨離に興味を持った直接のきっかけはゆるりまいさんの著作を読んだことのようである。すなわち、ゆるりさんは我が家のミニマルライフを実現させてくれた大恩人ということになる。
単身赴任を決めた頃は夫婦して断捨離の熱量が最大だった時期で、リビングから台所からモノを捨てまくっていた。
例えば食器棚。
それまでは高いもの安いもの、お気に入りのものそうでもないもの、日常的に使うもの使わないもの、おまけでもらったものまでがギチギチと詰め込まれていた。お気に入りのものは割ると嫌だから、日常は気に入らないものを使ったりしていた。
気に入らないものは全て処分し、お気に入りは日常でもどんどん使うことにした。
お気に入りの食器が整然と並んだ食器棚は、見違えるように美しい光景になった。まるで雑誌で見た料理研究家の食器棚のように。
これは快感である。
お気に入りの食器を日常使いするようになると、丁寧に扱うし、盛り付けも少し気を遣ったりと、日常生活の質が少し上がったように思う。
この調子で今週末はここ、来週はあそこをやろうというのが我が夫婦の楽しみとなった。
なんと、結婚指輪も「お互いにもう何年もしてないね」ということで宝石下取り店に出してしまった程である。
単身赴任がミニマルライフとなるのは必然だった
このような状況であったから、単身赴任生活も「ミニマルライフ」を目指そうという考えに至るのはごく必然なことであった。
自分一人の住まいであれば、家族に気兼ねすることなく思いっきりミニマリストライフを楽しめる。というか、大して高くない僕の収入でもミニマライフであれば何とかなるのではないか、と思ったのが正直なところではあるが。
何だか急に単身生活が楽しみになって来た。