ぼっち単身赴任者の部屋にもクリスマスはやって来る
単身赴任を初めて、もうすぐ4回目のクリスマスがやって来る。
今から10年ほど前、娘たちもまだ幼かった頃は、せっせとクリスマスツリーに飾り付けをして、娘たちへのプレゼントをこっそり買ってイブの夜まで押入に隠したり、クリスマスケーキやチキンを注文して、忙しいながらも楽しいイベントであった。
更に15年記憶を遡ろう。僕らが20歳そこそこの大学生だった当時、クリスマスを一人で過ごすのは完全な負け組であった。夏を過ぎると僕を含めて彼女のいない男友達は表面では平静を装いながら、なんとかクリスマスまでに彼女を作らねばと内心では焦っていた。しかし彼女を作らねばと焦っている男ほどみっともないものはない。当然そんな男に彼女などできる筈もないままクリスマスはやってくる。彼女のいない惨めな男達はチェーンの居酒屋に予約を入れ、「商業主義のクリスマスなんて実にくだらん」などと息巻きながら、イルミネーションの下を歩くアベックを羨ましげな目線で追いかけるのであった。
時代は令和に移り変わり、僕が若かった頃と比べると世の中のクリスマスの熱量もだいぶ下がったように思う。街中もテレビも当時のようにクリスマス一色、ということもない。
平穏な時代になったと思う。と同時になんだか物足りないような気もする。
山下達郎の「クリスマス・イブ」という有名な曲がある。発売されたのが1983年だから、実に38年も経つのだが、令和の時代の今となってもこの時期になるとラジオなどで必ず耳にする。38年も前の曲となると立派な懐メロだが、いまだに全然古く感じないのはさすがだ。この曲が多くの人の共感を得た理由はハッピークリスマスではないことが大きいと思う。もしも歌詞の内容が「僕の腕の中で眠る君が愛しくて…」などという歌詞であったら少なくとも多くの男子にそっぽを向かれたに違いない(もっとも山下達郎がそんな歌詞を書くことはあり得ないが)。この曲はまた楽曲が素晴らしい。あのイントロを聞くだけで「きたきた」と思う。そして荘厳でゴージャスなコーラスによる間奏がこの曲のクライマックスだ。
僕はこの曲を聞くといつも懐かしく思い出す。街中がキラキラ輝く中、彼女のいない男どもと飲んだくれた惨めなクリスマスを。
年月を経て、今年は単身赴任先で一人で過ごすクリスマスだ。しかしこれも決して悪くない。イルミネーションで彩られた街中を歩くアベックを微笑ましい気持ちで見る余裕もできた。今年は「クリスマスイブ」でも聴きながら煮魚を熱燗と一緒に食べようかな。