長野の人の使う「ありがとう」は板についている

他県から長野県北信地区に移り住んで来た人であれば「そうそうわかるわかる」と同意してくれるのではないかと思うのだが、

長野の人は気軽に「ありがとう」と言ってくれる。例えばコンビニやスーパーのレジで会計を終えた時、飲食店で注文した商品を持ってきてくれた時、結構な割合で客が気軽に店員さんに「ありがとう」と言うのである。

性格にいうと、標準語の「ありがとう」とはちょっとイントネーションが違う。標準語のありがとうは尻下がりのだが、長野のありがとうは尻上がりで語尾をちょっと伸ばす感じ、「ありがとー↗︎」となるのである。

恐らく、大阪の人が「おおきに」とか、関東の人が「どうも」くらいの感覚なのだと思うが、日常生活の中で実に自然に「ありがとう」という言葉が出てくるのである。ちなみに本宅のある栃木県民はこのような場面では必ず「すいません」という。「すみません」ではなく「すいません」である。

もう一つ、長野に来て驚いたのが、横断歩道に横断しようとしている人が立っていると、長野ではかなりの高確率できちんと車が停まる。これは道交法で定められていることなのでごく当たり前といえば当たり前の行為なのであるが、この当たり前のことがきちんと出来ていないのがまた当たり前なのであって、他県から来た僕にとっては衝撃的なことであった。

しかしこれを以て長野県民の交通マナーが全般的に良いかと言えばそうでもない。ウインカーを出すのが全般的に遅いし、対向車が来ているのに無理やり右折してくる人も多い。市街地ではそうでもないが、郊外の峠道に行くとやたら飛ばして煽ってくる。一般的に栃木などの北関東は運転が荒いというイメージがあると思うが、栃木と比べてもどっこいどっこいである。

しかし何故か横断歩道に横断車がいた時にちゃんと停止する、という点においては徹底されているのである。

「ありがとう」の件に話を戻すと、結構強面のおじさんなんかが自然と使っているのを見て最初は感動したものである。

また、仕事に関するクレーム処理なんかで得意先に謝罪に赴いた時でも、謝罪に赴くと最後は「ありがとう」と言ってくれる。長野の人はなんて心が広いのかとこれまた最初は感動したものである。しかしそれでお怒りが鎮まったのかと此方が理解していると、必ずしもそうでもない場合もある。謝罪にわざわざ来てくれたことについてはは「ありがとう」と言ったけど、それで全部許したわけでは決してないかんね、という訳だ。

この辺りが難しい。

しかし、気軽にありがとう、といえる長野の文化はとても好きだ。僕もこれは早速真似しようとしたのだが、いざとなるとなかなか難しい。

コンビニやスーパーのレジで会計を終えたとき、黙って釣り銭を受け取って黙って立ち去る人、これは実際には長野でも多いが、僕はよほど態度が悪い店員でなければひとことかけたいと思っている。お互い生身の人間である。ひとこと感謝の言葉をかけてお互い悪い気がするわけないし、挨拶は言葉を操る人間の特権だとも思うのである。

しかし、いざレジで会計を終えて店員さんに「ありがとうございました」と言われてもこちらはせいぜい「どうも」となってしまう。意識してありがとうと言おうとすると、つい「ありがとうございます」になってしまう。スーパーのレジで店員の若いお姉さんに「ありがとうございます」もちょっと畏まりすぎな気もする。

「ありがとう」は板についていないとなんとなく偉そうな感じもして、これを自然に発するには相当な修行が必要である。

一時、「サンキュー」と言うことも検討したが、スーパーのレジのお姉さんたちの間で「サンキューおじさん」と呼ばれそうなので早々に却下した。

今年の目標。日常生活で「ありがとう」を自然に使いこなせるようになる。これが出来れば、長野に来て4年目にして本当の信州人になったと認めてもらえるのではないだろうか。

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

Tanoyatsu

40代半ば、妻と二人の女の子を残し、長野に単身赴任中。料理・掃除大好きのおばさん力高め男子。趣味は料理の他・ジョギング・水泳・乗り鉄。数年前から断捨離・ミニマリストに興味を持ち、「モノを極力持たないライフスタイル」をゆるめに実践中。