単身赴任をする、という意味について改めて考えてみる

70万人とも90万人とも言われる日本の単身赴任者の皆さんこんにちは、お元気ですか?

ご飯、ちゃんと食べましたか? 夜、ちゃんと眠れてますか?

「単身赴任」という言葉から連想されるイメージ

外国人からは決して理解されない

さて「単身赴任」、この言葉にプラスのイメージを抱ける人はほとんどいないだろう。

単身赴任は「寂しい」「孤独」「子育てワンオペ」「家計赤字」「意味ない」などといったマイナスワードがネット上でも溢れている。

それでも、日本中で70万人以上の人々、もちろん僕もそのうちの一人なわけだが、それだけの人が悲喜交々抱きながら、家族と離れて一人で単身赴任生活を送っているのも現実である。

この単身赴任という行為、日本以外の多くの国の価値観からすると、とても理解出来ないらしい。

「仕事のために家族が離れ離れになって暮らすなんて、家族である意味があるのか」、「会社のために自分や家族を犠牲にするなんて狂っている」と言われるらしい。

そこまで言われると、まるで単身赴任をしている自分が悪人のような気になってくる。

海外派兵と単身赴任との決定的な違い

一方、兵役の義務のある国では、外国で紛争が起きてそこに派兵される時も、これまた単身赴任である。しかも生きて帰れる保証はないという実に過酷な任務だ。

戦後の日本生まれで、少なくとも自分自身が戦争で命を落とす危険性というのは無縁な人生を送ってきた僕にとってはそれこそ理解不能である。しかし彼らに言わせれば、海外派兵は家族と一緒はあり得ないが、家族一緒の選択肢もあるのに単身で赴任するのが当たり前の日本の社会が理解出来ないのだという。

彼らの言っていることが理解出来ないわけじゃない。しかし日本には日本の事情・価値観がある。今回は日本人として、単身赴任をすることの意味について考えてみた。

僕が単身赴任を選んだ理由

転勤猶予の希望を聞き入れてくれた会社

僕の場合は転勤になった場合は単身赴任をすると、あらかじめ家族で話し合って決めておいた。従って転勤を言い渡された時も特に慌てることもなく、「ついに来たか」という感じであった。

そもそも僕は長野に来る前は栃木の地方の某事業所に18年間も勤めていたのである。栃木の事業所に赴任して数年ご結婚し、子供が産まれ、その直後に家を購入したので、当面転勤は猶予してほしいと会社に申し入れ、会社はそれを聞き入れてくれた。今考えれば誠にありがたい会社である。しかも最終的にはその事業所の責任者にまでなることが出来たのだが、所詮は小さな事業所である。更なるキャリアアップを目指すのであれば、もっと大きな事業所に行くしかない。当時は仕事も業績もそこそこ順調で、現状維持では物足りなく感じていた僕は再び転勤は可能であるとの方針変更を会社に申し入れたところ、晴れて(?)転勤となったのである。

転職という選択肢

ここで、地元で転職する、という選択肢もある。しかし、資格や手に職持っていれば別だが、僕のような「営業」という職種でずっとやってきた人間にとって、ことさら地方ではキャリアアップにつながる転職は至難の業だ。

なぜなら日本は「終身雇用」を前提とした独自のシステムで長い間うまくやってきて、令和の時代になっても同じ企業に長く勤めることが善しとされているし、多くの企業は長く働き続けられる人を求める。転職者を受け入れるのは退職した社員の補充とか、業務拡大にあたり増員が必要な場合に限られ、成績が悪い社員をクビにして代わりとなる優秀な人材を常に求めている、という企業はまだまだ一般的ではない。その点、日本の会社員というのは手厚く守られているわけだが。

一方多くの部署、事業所を持っている大企業であれば、人材のバランスを定期的に調整する必要がある。社員を簡単に辞めさせたり、外部からの補充がままならないのであれば、社内の人間を異動させるしかない。転勤というシステムは、日本独自の雇用システムとは長年切っても切れない関係であった。

近年、このような価値観の押し付けは若い世代には急速に通用しなくなってきていることは実感として感じている。

単身赴任への必然的な流れ

転勤を受け入れる覚悟を決めた時には、すでに40代半ばとなっていた。

二人の娘は小学校高学年、彼女らなりの人間関係を築き、楽しそうに学校に通っている。妻も仕事にも慣れ、職場でも頼られる存在になっている。自分の都合で、彼女らの人間関係を全て断ち切って自分について来させるというのは忍びない。何せ連れて行っても、ようやく慣れた頃にまた次の転勤があるのは明らかなのである。

それで、転勤となった際は単身赴任をすることはあらかじめ家族の間で決めていた。日本人的な価値観で考えれば、極めて必然的な流れと言えるのではないだろうか。外国の人には到底理解されないだろうが。

単身赴任をする意味とは

確かに、単身赴任というのは犠牲にするものが多い。特に若くして、小さな子供を本宅に残しての単身赴任とも慣れば尚更だ。若ければ経済的な負担も大きいだろう。家族がお互いに大変な負担を負いながらも、将来のキャリアアップ、収入アップにつながる単身赴任であればやる意味はあるが、そうでなければ早々に見切りをつけるということも、若いうちであれば考えるべきだ。

僕のように、ある程度の年齢とキャリアとなり、単身赴任を経ての人生プランに希望をもてるのであれば、不便で理不尽でお金がかかる単身赴任もやる意味を見出すことが出来る。今単身赴任をしている僕と同世代の同志も、おそらく僕と同じ考えを持っているのではないだろうか。

しかし、世代が変われば価値観も変わる。昭和生まれの僕などは、「会社というシステムの恩恵を受けているのだから自身や家族の多少の犠牲はやむを得ない」という考えを持っているが、この考えは若い世代になるほど理解されないことも肌で感じている。

単身赴任に意味なんてあるの?という考えの世代がこれから台頭していくようになることは大いに歓迎だ。

実際、コロナ禍のこの2年間で現場に行かなくとも仕事を遂行する、というスキルを多くの人が身に付けた。これをさらに進化させれば、札幌在住の人が東京に転勤になったとしても、東京の現場に行くのは週のうち一泊2日程度の出張感覚で、あとは札幌からテレワークで要件を済ませる、ということもごく普通のこととなるだろう。

僕が死ぬ頃には、「昔は単身赴任なんていう理不尽なシステムがあってね…」なんて懐かしく語られるような世の中になっていたら、それは素晴らしいことじゃないか。

家族全員で一緒に暮らすことが全ての家族にとって必ずしも幸せをもたらすかはまた別の話ではあるけれど。

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Tanoyatsu

40代半ば、妻と二人の女の子を残し、長野に単身赴任中。料理・掃除大好きのおばさん力高め男子。趣味は料理の他・ジョギング・水泳・乗り鉄。数年前から断捨離・ミニマリストに興味を持ち、「モノを極力持たないライフスタイル」をゆるめに実践中。

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