逃れられない【単身赴任の寂しさ】とうまく付き合う方法
単身赴任を始めた当初、会社から暗い部屋に帰って電気を点けると、えも言われぬ寂しい気持ちに襲われたものである。
しかし人間とは罪深い生き物だ。
1ヶ月もすると慣れてしまうのである。決して寂しくなくなったわけではないが、寂しい状態に慣れてしまうのだ。
もともと大人数でワイワイやるのが苦手で、家族だけで静かに過ごしたり、1人で過ごすのが好きだったので、慣れるのも比較的早い方だったのかもしれない。
単身生活に慣れた今でも寂しさを感じる瞬間
しかし、単身赴任生活に慣れた今でも寂しさを感じる時はある。
週末の朝目覚めたとき
平日の朝は目覚めたら、出勤時間までにやることが色々あるので寂しさなど感じている暇はない。
しかし週末の朝は特別急いでやることもない。ひとりぼっちで、特にやるべきこともない時間、これは寂しい。そんな時間を埋めるべく、単身赴任を始める前からやっていたジョギングの他に、水泳・古い食堂の食べ歩き・インスタ・そしてブログと休日の趣味が色々と出来た。
週末夕方のスーパーに行ったとき
この歳になっても金曜日になると、「明日から週末だ」とウキウキしてくる。僕は本宅に帰るのは大体月1回なので、残りは長野で1人で過ごす週末なのだが、それでも金曜日はウキウキする。
週末はあっという間に過ぎて、日曜日の夕方になる。1人でスーパーに夕食の買い物に行く。小さな子供を連れた、僕より少し若い家族が楽しそうに買い物をしている。こういうのを見ると途端に寂しくなる。日曜日の午後というのは単身赴任者の僕にとって一番寂しい時間である。「ああ、彼らはこれから家に帰って楽しい夕食なんだな」と思う。それに引き換え、僕は寂しく1人孤独な夕食なのである。カートに乗せられた幼い子供と目が合う。両親が魚なんかに気を取られているのを確認してから、その子供に変顔をしてみる。子供は「誰だこのおじちゃんは」という顔でこっちをじっと見てくる。それが楽しい(危ないオジサンである)。
本宅から単身赴任先に戻る時
これが最大に寂しさを感じる瞬間である。本宅へは大体月一回帰宅することにしているのだが、家族と楽しい週末を過ごし、庭の手入れなんかも終えて、日曜日の夕方、家族が見送ってくれる中、一人で単身赴任先へ向けて出発する。次に帰って来られるのは1ヶ月後か、長いな〜と思いながら車を走らせる。この瞬間は心が弱っているのを感じる。
単身赴任の寂しさとの付き合いかた
紛らわしたり忘れたりせず、仲良くなる
寂しさから逃れよう、寂しさを消そうと思ってもそれは所詮無理である。なぜなら寂しい感情というのは自分の心から湧き上がってくるものであるから。いっとき紛らわすことができたとしても、その後でまたより寂しさに襲われるものである。
であれば寂しいという感情を恐れず、仲良く付き合ってしまうことである。「ああ、自分は今寂しい感情に支配されているな。まあ仕方ないな」と客観的に自分を俯瞰してみよう。そうするとそんな自分が、なんだか愛おしく感じられるのではないだろうか。
体を動かす
休みの日、寂しい寂しいと言いながら部屋でじっとしているのは不健康だ。僕は一人で過ごす週末は自重筋トレ・水泳・ジョギングを行うことを常としている。体を動かしている間は寂しさのモヤモヤからは解放されるし、運動による心地よい疲労感は寂しさを軽くしてくれる。寝つきも良い。まずは散歩でも良いので、とりあえず部屋から出かけてみよう。
美味しく酒を飲む
一人で過ごす休日の寂しさを紛らわすため、ついつい日中から酒を飲んでしまう…これはやめた方が良い。体に悪いし、アルコール中毒の引き金となりかねない。そもそも寂しさを紛らわすための酒なんて、酔うことが目的で全然美味しくないではないか。僕は休日でも原則的には酒は夕食時と決めている。運動しているから腹ペコで、飯も酒も実に美味い。美味しく飲める程々の範囲でやめておこうと思うのだが、これはいまだにしばしば守れないでいる。
寂しい感情を否定しない
家族と離れて一人で暮らしていれば、寂しいと感じるのは当然だ。そんな感情に蓋をしようというのはどだい無理な話であるし、その必要もない。
単身赴任で寂しいという感情が湧き上がるのも、大切な家族がいるからこそだ。離れてしまってはいるが、同じ空の下お互いにちゃんと生きている。ありがたいことではないか。
自分の中にいる「さびしさ君」と友達になって、ひとり酒の相手にしてしまおう。