寂しい単身赴任期間も人生の貴重な一ページだと味わおう
単身赴任というシステムについていろいろ考えることはある。同士の皆さんも恐らく同じであろう。
昨年くらいまでは「いや言うのは簡単だけど実際なかなか出来るもんじゃないよ」と皆が思っていたリモートでの仕事を、今や多くの人々が実践している。
それでちゃんと成果が上がるのだとしたら、一人家族と離れて多くのものを犠牲にして、また企業の側から見ても多額のコストをかけて単身赴任をさせる、という意味が薄れてくる。
実際にこれを機に単身赴任を中断した、という方もいるはずだ。
それでも僕は相変わらず単身赴任の生活を続けている。そして恐らくもうしばらくは続くであろう。
これだけ多くの人が単身赴任をごく普通のこととして受け入れていることが、多くの外国人から見ると理解出来ないものらしい。
家族というものは一番大事なもので、会社の都合で家族がバラバラに暮らす意味がわからない、といったところのようである。
日本人の僕からみると、単身赴任が素晴らしいシステムだとは決して思わない。しかし、定期的に社員を異動させて戦力の平準化を図るというのは経営の面からは十分に理解出来る。
しかし転勤の度に家族を引き連れて歩くのは家族に大きな迷惑がかかる。
それで止むを得ず単身赴任を選ぶというわけだ。これは日本人としてはごく普通の考えだ。
しかしアメリカ人なんかは、会社の都合のために家族がバラバラに過ごすのであれば家族である意味があるのか、なぜ転勤を拒否しないのか、転職した方が良いのではないか、と思うらしい。
全くもって、日本の常識は世界の非常識である。
だけど日本人である僕と家族は単身赴任を割とすんなりと受け入れた。
単身赴任のメリットなんていうものはない。冷静にみれば単身赴任なんてのはデメリットだけである。仕方なくやっているのである。
しかし、仕方なくとはいえ、最終的にそれを選んだのは自分自身だ。イヤだイヤだ早く終わらないかななどと愚痴をこぼしながら過ごすのはまっぴら御免だ。
どのような状況下においても、人間というのは楽しいことを見出せる生き物だと僕は思っている。
であれば仕方ない。単身赴任の今の期間、不便さとか寂しさとか不安はもちろんあるが、小さな楽しみも見つけ「清濁併せ呑む」つもりで味わって過ごしたい。
※冒頭の画像は姨捨山の棚田。撮影日20.9.5