究極のミニマルルームで2週間生活することになった
4月1日からの仙台本社勤務に備え、3月18日の夜、部屋の荷物を引っ越し業者が運び出して行った。
3月29日の金曜日までは長野支店での勤務であるから、まだ2週間近くもある。平日の日中であればもう少しギリギリで来てもらうことも出来たのだが、あいにくの人手不足で管理職の僕も毎日配送に出ている状況だ。日中抜ける訳にはいかない。業者と僕の都合を擦り合わせた結果、やむを得ずこのタイミングで荷物を出すことになったのだ。
18時〜20時の間に引っ越し業者が来ることになっていたので、大急ぎで仕事を片付け、17時半の定時に会社を飛び出す。
僕の帰宅直後に到着したサカイ引越センターは社員のお兄さん1名とアルバイトのお兄さん2名。
玄関周りの養生から初めて、手際よくしかし丁寧に荷物を運び出していく。椅子やテーブル、冷蔵庫やヘルシオも梱包材でしっかり包んで輸送中に傷がつかないようにしてくれた。
僕も何か手伝った方が良いのではないかと思ったが、手を出すとかえって邪魔になるのは間違いなく、じっと見ているしかなかった。そうするとなぜか悪いことをして廊下に立たされた少年のような気持ちになって、テキパキと働く若い男子の傍で、中年男子はうなだれて立ち尽くすのであった。
彼らのおかげで荷物の運び出しは1時間もかからずに終わった。一応あと2週間は生活出来るよう、寝袋と最低限の着替えを入れたスーツケース、それとテレビは残しておいた。テレビは僕の好きな大相撲を見るためである。今ちょうど春場所の真っ最中なのだ。
スーツケースをテーブル代わりとし、ここで食事をしたりipadを見ることにした。
この風景、僕がミニマリストを志すきっかけになった、佐々木典志さんの初期の頃の何もない部屋にそっくりだ。これをやってみたかったのだ。
床に直に座ると目線が低くなるため、部屋が急に広くなったように感じる。向こうの壁にあるテレビが遠い。しかし僕はあぐらが苦手なのだ。股関節が硬いのだろうか。気がつくとついつい女座りになってしまう。
窓にブラインドがないのは最初の夜は何とも落ち着かなかったが、2晩もすれば慣れてしまった。
一番不便に感じるのは冷蔵庫がないことである。僕にとって欠かせない夕食のビールを冷やしておくことが出来ないのだ。仕方ないので夕方に毎日1本づつ買って来ている。
今までの部屋も僕にとっては必要なものしか置いていないミニマルルームであったが、6年も生活しているとどうしても緩みが出てくる。切れ味が鈍った刃物みたいになってくる。
引越しを機に2週間の究極のミニマルライフを送ることで、再び感覚が研ぎ澄まされ、より充実したミニマルライフが送れるのではないかと、僕は密かに期待しているのだ。