長野での単身赴任生活が5年目になることが決まった
正式に決まったのは少し前のことになるが、この4月は僕は転勤なし。すなわち長野での単身赴任生活が5年目に突入することが決まった。
僕の会社において僕が就いている役職で、5年間同じ場所に留まる、というのは長い方である。これにははっきりした理由があってコロナ禍で会社の業績が低迷しているため、コストのかかる転勤、特に新たな単身赴任者の発生については消極的なのである。
単身赴任が3年目・4年目が決まった時は、「あ〜転勤なかったか…」とがっかりする気持ちが強かったが、5年目となる今回は事前の予想もあり、割と淡々と受け止めた。
今となって思い返してみると、それなりに波瀾万丈の4年間であった。
単身赴任を始めてからこれまでの4年間を四字熟語二組で表現してみる
1年目「自信満々・意気揚々」
前職場ではなかなか良好な実績を上げることが出来(運に恵まれた部分も大きかったが)、その末の長野への転勤であった。実際、周囲の期待も大きく(こう思っていたのは僕だけかもしれないが)、1年目は実績もまずまずであった。このまま順調に業績を伸ばすことが出来れば順調に出世も出来るだろうと、一年目の僕は自信満々であった。
2年目「自信喪失・意気消沈」
思いがけず社員2名の相次ぐ離脱という事態に遭う。信頼関係を築けていたと自負していた社員からの突然の辞表はこたえた。周囲にはあなたのせいではない、と慰められたが、自分が見限られたのだろうかとすっかり自信を無くした。自ら作業労働にも従事せざるを得なくなり、2ヶ月ですっかり痩せて家族を驚かせたものである。この年が精神的には一番きつかった。
3年目「茫然自失・右往左往」
突然のコロナの大流行、売り上げは一気に激減し、なんとかこの事態を打破しなければと馴染みの薄い分野にもチャレンジしたりしたりと右往左往したが焼け石に水。自身の無力さを思い知らされた。業務量が減ったのでパートさんを契約打切りにせざるを得なくなり、それを伝える時はキツかった。多分5ミリくらい禿げたと思う。
4年目「泰然自若・熱願冷諦」
この環境でジタバタしても売り上げの回復など期待出来ない、今この状況でしかやれないこともあると開き直り、事業所の無駄なコスト削減などの体質改善に注力する。このような状態の中、新規の商談の話が来ればこれはありがたいことであるが、商売としては厳しいなと判断したら潔く手を引くこととした。コロナ前はこれが出来なかった。話を頂けるだけでも有難い、なんとか要望に応えようとして大した売り上げにもならない案件に時間と労力を割き、今思えば自分自身で苦しい方向へ追い込んでいたようなものである。「残念すぎる考え方ですね」とヒロユキに馬鹿にされそうである。
うむ、こうやって書いてみると本当に色々なことがあって、それでもなんとかやってきたなあとしみじみした感慨を覚える。
単身赴任5年目が決まった2022年の春、そろそろコロナ禍も終わりが見えてきた。一方単身赴任生活はなかなか終わりが見えず、相変わらずロクでもないが、それでもこの生活にはもう慣れたし、日々の暮らしに楽しみを見つける余裕も出来た(と言っても浮気などでは決してない)。
単身赴任が終わったらこのブログも同時に終わりであるが、少なくともあと1年は続けられそうだ(多分)。
今ブログの中身も少しづつリニューアルを図っていて、これまでは取り留めのない日記みたいな内容であったが、お陰様で閲覧数も少しづつ増えてきたので、単身赴任の同士にとってもっとわかりやすく、ほんの少しでも役に立つ様な情報を提供出来るようなブログにしたいと考えている。
少なくともあと一年間、よろしくお願いします。