日々の生活の中で【小さな徳を積む】ことを楽しむ

久しぶりに献血をした話

8月のある日曜日、久しぶりに献血をした。

前回献血をしたのはいつであろうか。少なくとも単身赴任を始めてからは献血した記憶がない。時間もあるし、体調も良かったので久々に血液をお裾分けしようという気になった。

献血の前には入念な問診がある。これをクリアし、いざ献血車に乗り込み、採血用の椅子に座る。

恥ずかしい話であるが僕はこの歳になっても注射が怖い。採血係のお姉さんに、「ちょっとチクッとしますよ〜」と言われると、恐怖で目をカッと見開き、歯を硬く食いしばる。

恐らく鬼のような形相であったと思う。お姉さんに「だ、大丈夫ですか、気分が悪いですか!?」と心配されてしまった。

それにしても献血って400ccも抜き取られるんですね。

400ccというとちょっとした量である。もしも鼻血が止まらなくなって、400ccも出血したら大騒ぎだろうと思う。

人間の血液の量というのは体重のおおよそ1/13であるという。体重58kgの僕の場合、4.5Lほどが血液の総量となる。献血によってその1割弱を差し上げたことになる。そんなに抜き取られて大丈夫かと心配になるが、全然平気なのだから人間の体とは丈夫に出来ている。

滅多に行く訳ではないが、僕は献血が好きだ。

なぜかというと献血は何も見返りがあるわけでもない。いや正確にはポケットティッシュ数個とウィダーインゼリーを頂いたのだが、別にそれが欲しくて行った訳ではない。

献血に協力するという行為は、何ら見返りを求めず、純粋に見知ることもない他人の役に立ちたい、という動機から行う行為である。

それに、献血って心身ともに健康な状態でないと、そもそもやろうという気にならない。僕自身、単身赴任を始めてから2年目には相次ぐ社員の退職に頭を抱え、それがひと段落したらコロナによる業績の急激な悪化に悩まされた。そんな間はとても他人に血液をお裾分けしようという発想に至る余裕がなかったのだ。

献血が出来る、ということは幸せなことなのである。

であるから、献血車の車内や周辺にいる人たちは基本的に心身ともに健康で、無償でそれなりの時間をかけて自分の健康な血液をお裾分けしようという余裕のある人たちである。イライラしたり自分のストレスを他人に八つ当たりしようなどという、心の貧しい人は献血会場にはいない(中にはいるかもしれないが)。

徳を積むとは

「徳を積む」という言葉をお聞きになったことがあると思う。

善行・徳行を重ねて実践すること。善い行い・徳の高い行い・気高く立派な行いを(一度ならず幾度も)積み重ねること。および、そうした立派な行動の積み重ねによって、人徳を高めること、あるいは神仏の加護を得ようとすること。(引用 webio辞書)

よくネットのニュースなんかで、溺れそうになっている人を救助して表彰されたとか、振り込め詐欺に引っかかってお金を振り込みそうな人を寸前で止めて表彰されたとか、そのような記事を目にする。

このように、誰にでも明らかな形で良い行いをすることを、「陽徳」という。

素晴らしい行いである。しかし、ニュースに取り上げられるような善行を行う機会なんて、ほとんどの人は遭遇することがない。

一方、献血をするとか、誰もいない公園で空き缶を拾ってゴミ箱へ入れたとか、誰にでも出来るが直接的には誰からも見返りやお礼がない行いを「陰徳」という。

徳を積む、というのはどちらかというと後者に該当する。誰も見ていないのに、誰からも感謝されないのに、善い行いなどする意味・メリットがあるのか、と思われるかもしれない。

徳を積む行為をしたからといって、宝くじに当たる確率が上がる訳ではない。寿命が伸びる訳でもない。死んだ後、極楽浄土に行ける優待券がもらえる訳でもない。

徳を積む行為に意味を見出せるか否かは、自分次第なのである。

僕が意識している日常の中で徳を積む行い

僕はスーパーで買い物をして会計を終えた時、必ず店員さんに「ありがとう」とか、せめて「どうも」くらいは言うようにしている。挨拶というのは徳を積む行為の基本である。店員さんに「ありがとうございました」と言われても、何も言わずにプイッと立ち去ってしまう人もいるが、「徳を積む機会をフイにしてもったいないなあ」と思う。

他に僕が意識して行っている行為が、

  • 車を運転している時、自分の前に入りたがっている車があれば、積極的に入れてあげる
  • ゴミが落ちていれば、進んで拾う
  • 職場のトイレが汚れていたら進んで掃除する
  • ネットのコメント欄には読んだ人が良い気持ちになることしか書かない
  • 人ごみに出る時は意識して笑顔になる

書き出してみると、何も特別なことはない。ごくごく当たり前のことばかりである。

しかし、自身の心が荒んでいて、他人のことなど考える余裕が全くなかったら、これらのごく当たり前のことさえ出来ないのではないだろうか。

そういう意味では徳を積んだから幸せになれるというよりも、幸せだからこそ徳を積める、と言った方が本当かもしれない。

単身赴任で家族と離れて1人で暮らさざるを得ない。考えようによっては誠に不幸なことである。一方、離れて暮らしてはいるが今日も家族は皆無事に過ごせた。考えようによっては誠に幸せなことではないか。

不幸ばかり見つけていたのでは徳は積めぬ。同じ単身赴任という環境であっても、その中に小さな幸せを見つけて徳を積み、更に幸せを感じられる方の人生を送りたいではないか。

いずれも自分次第なのである。

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Tanoyatsu

40代半ば、妻と二人の女の子を残し、長野に単身赴任中。料理・掃除大好きのおばさん力高め男子。趣味は料理の他・ジョギング・水泳・乗り鉄。数年前から断捨離・ミニマリストに興味を持ち、「モノを極力持たないライフスタイル」をゆるめに実践中。