何事も始まってしまえばもう、終わったも同然だ
やってもやめてもイバラの道
パラリンピックが始まった。新型コロナウィルスの新規感染者が再び爆発的に増加する中、開催の賛否については色々な意見が飛び交った。
僕自身はどうか。結局自分の中で賛否がまとまらないうちに始まってしまった。いずれにせよやってもやめてもイバラの道、ということは間違いなかったと思う。
しかしひとつだけはっきり申し上げられるのは、ひとたび開催してしまえば菅総理も小池知事もバッハさんもものすごくホッとしているだろう、ということである。
なぜなら、いざ始まってしまえばもう、終わったも同然だからである。
「始めてしまえばこっちのもん」という言葉がある。あまり誠実な意味では使われないが、これは真実である。
も〜信じられない
思い起こせば3年半前の4月、長野の事業所に責任者として転勤で来た時、6月に大規模な展示会の計画があった。責任者としては初めて経験する展示会で、準備の進捗は1/4ほどであっただろうか。日程とか会場の予約とか、大まかなところはすでに決められていたが、細かいところは全部これから、という状況で、また展示会の評価は来場人数で決められるため、そのプレッシャーたるや相当なものであった。
5月になり展示会が近づくにつれ、プレッシャーはいっそう大きくなる。もちろん部下の社員もそれぞれの役割を果たしてはくれるものの、彼らには展示会以外のルーティンの仕事がある。準備は想像よりずっと大変で、見落としていた細々したことなんかも次々に見つかって、一方では来場人数の目標達成に向けて社員にハッパをかけ、自身も得意先に電話したりして、直前はもういっぱいいっぱい、夜眠っていてもパッと目が覚めてしまうといった塩梅で、逃げ出したい気持ちになったものである。
いざ6月初旬の展示会当日の朝、本社からは社長も部長もスタッフも来て、出展される取引業者の皆さんなど100名以上の前で噛みまくりながら挨拶を終え、緊張も最高潮、あとはお客様を迎えるだけというこの2ヶ月の集大成の瞬間、のはずなのだが、なぜか猛然と眠くなってきてしまったのである。
「この日のために準備してきたのに、本番で眠くなるとは何と情けない、も〜信じられないっ」と自分を責め、ほっぺたをギューとつねって何とか一日乗り越えたものである。おかげで展示会は大成功であったが。
しかし、今考えると、あの時眠くなった理由はよくわかる。この日のために長い間準備を重ねてきた、という日はもうゴール目前なのである。マラソンで言えば40km以上を走り終えて、競技場に戻ってきたようなものだ。結果はどうであれ、ゴールは目前である。普通はゴールしてから眠くなるものだと思うが、ここら辺が生身の人間のいい加減で愛しいところであると思う。
菅総理もオリンピックの開会式で眠そうにしていた、と批判されていたが、僕には総理の気持ちはよくわかる。
終わりの日に向けてのカウントダウン
「始まってしまえばもう終わったも同然」、これは他の様々なことにも当てはまる。
楽しみにしていたまとまった休みだって、始まったと思えばもうあっという間に終わるではないか。
単身赴任はどうだろう。さすがに始まった瞬間に終わったも同然、というには長すぎるが、始まった以上あとは終わりの日に向けてカウントダウンである。
もっと大きな視点で見れば、人生だってそうだ。生まれた瞬間から死ぬ日へ向けてのカウントダウンである。
その人生の一時期、家族と離れて単身赴任をしているわけだ。
単身赴任なんて寂しいし不便だしお金はかかるし、ロクなもんじゃない。
しかし、それでもちゃんと生きている。一人での楽しみも見つけられるようになった(決して変な意味ではない)。
一日一日減っていく人生だ。大切にしたいではないか。