白湯を飲む、ということを生活習慣に取り入れてみたら実に調子が良くなった

グラスに淹れた白湯の画像

4回めの年男にして白湯に出会ってしまった

遅ればせながら、今年もよろしくお願い申し上げます。うかうかしていたら、2022年の1月ももう中旬である。

僕は寅年で、今年は4回めの年男である。

この歳になっても、毎年何かしら新しいこととの出会いがある。昨年はインスタグラムを始めた。一昨年はこのブログと食堂食べ歩きである。その前の年は水泳を始めた。いずれも始めるまでは世の中にそのようなものがあるということくらいは知っていたものの、いざ自分自身が始めてみるとなんでこんなに面白いことを知らずに今まで生きて来たのだろうかと思う。「知れば知る程自分の知らなさを思い知る」というやつだ。

今回のテーマはそんな大袈裟なものではないのであるが、タイトルの通り「白湯にハマった」ということである。白湯と言っても豚骨などを強火で煮出したラーメンスープなどに使われる白湯(パイタン)ではない。

白湯と書いて「さゆ」の方である。

もちろん白湯(さゆ)という存在は知っていたのであるが、今まではそんなものを飲もうという気になったことがなかった。

なぜ白湯を飲もうという気になったのか

どうも白湯を飲んでいる人って意識が高いというか、「食事は全てオーガニックの材料にこだわっています」とか、「調味料にもこだわっていて醤油はこれ砂糖はこれと決めていて全国からお取り寄せしています」といった「面倒臭い人」のイメージがあり、僕とは違う世界に生きている人が飲むもの、と考えていたのである。

そんなひねくれた思考回路の僕が白湯を飲むきっかけになったのが、昨年12月のある土曜日に車を運転しながら聞いた福山雅治のラジオであった。鉄分が不足していると健康診断の結果を受け、鉄瓶で沸かした白湯を飲んでいた時期があった、という内容であった。何気なく聴いていたのだが、その夜就寝前に「一杯飲んでみっか」という気になったのである。

白湯を飲んでよかったこと

飲んでみるとこれが良かった。スーッとなんのひっかかりもなく食道を経由して胃袋に流れ込んでいき、体が中から温まってホッとした気分になった。白湯の何の味もしないというのが良かった。それまではペットボトルのお茶を温めて飲んだりしていたのだが、お茶の味でさえいらないという時は結構あるものだ。しかもちょっと酒を飲みすぎた後でも白湯を飲んでから寝ると、酔いが穏やかになり翌朝二日酔いになりづらい。

というわけでその日から朝晩ともにコップ一杯づつの白湯を飲むのがすっかりお気に入りになってしまった。今も白湯を飲みながらこれを書いている。普通の水道水を沸かしただけの白湯が、僕の生活に潤いを与えてくれることになるとは。人生幾つになっても何に出会い、何に影響されるかわからないものである。

あ、今ネットで白湯についての定義を改めて確認したところ、白湯というのはブクブクと沸騰を続けることで水道水の塩素や不純物を取り除き、柔らかい口当たりにしたもの、だそうだ。僕が飲んでいる沸騰してすぐのは「ただのお湯」、らしい。また一つお利口になってしまった。明日からはちゃんとした白湯を沸かしてみよう。

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Tanoyatsu

40代半ば、妻と二人の女の子を残し、長野に単身赴任中。料理・掃除大好きのおばさん力高め男子。趣味は料理の他・ジョギング・水泳・乗り鉄。数年前から断捨離・ミニマリストに興味を持ち、「モノを極力持たないライフスタイル」をゆるめに実践中。