「モノ好き」と「ミニマリスト」はちゃんと両立できる
「モノ好き」の僕がミニマリストになった理由
「ミニマルライフ」という概念に出会ってそろそろ10年ほどになる。家族と一緒に住んでいた頃は自分の持ち物だけを細々を断捨離していたが、単身赴任を始めてからは誰にも気兼ねなくミニマルライフを楽しんでいる。
しかし、僕も妻ももともと結構な「モノ好き」なのである。
結婚して世帯を持ってからは、あちこち雑貨屋を回って生活雑貨を買い集めた。また古い中古住宅を購入してからは、その家に似合うような古い家具や雑貨を、ヤフオクや骨董市でせっせと集めたものである。最初何もなかった家がお気に入りの物で満たされて行くのはなんとも楽しいことであった。
しかし時は経ち、子供たちも学校に入学するにつれ、家の中はお気に入りばかり、というわけにはいかなくなってくる。子供の教材は色々と必要になるし、学校からはいろんな書類を持ち帰ってくる。今考えれば僕も妻も仕事や子育てで多忙な時期で、物にこだわる時間も精神的余裕もなかった。
そんなある日、日本におけるミニマリストのパイオニア、佐々木典士さんの机と椅子以外何もない部屋の写真に衝撃を受けた。当時の僕は「モノはいくら買っても結局自分の人生を幸せにはしてくれない」ということに気付き始めていた。佐々木さんの茶室にも通じる美しい部屋を見て、その様な生き方をしてみたい、と強く思ったのである。
しかし当然ながら当初は、断捨離に家族の理解など得られるわけがない。「またパパが変なことにハマっちゃったよ」と白い目で見られていた。しかしなんとか食器棚だけ断捨離してみよう、ということで妻の理解が得られ、お気に入りだけを残してオマケでもらった小丼とか、開店祝いでもらったちょっとクセのあるワイングラス、5枚セットで買ったけど3枚しか残っていない安っぽい小皿などは思い切って処分した。するとどうでしょう。ごちゃごちゃしたビジュアルだった食器棚はお気に入りだけになり、すっきりと統一感のある、まるでインテリア雑誌に出てくるような美しいビジュアルに変わったのである。これは予想以上の成果であった。お気に入りでない物で埋もれていたお気に入りが、余計な物を取り除いたことで本来の輝きを取り戻したのである。これを機に妻も一気に断捨離熱が高まり、当時の僕らは休みの度にせっせとあれこれ処分しまくったものである。
現在も単身赴任でミニマルライフを楽しんでいるが、根底にある僕の「モノ好き」は今でも変わらない。ただし、ミニマリストになる以前と違うのは、気になったものはどんどん買い集める、のではなく、吟味に吟味を重ね、自分の今の生活を更に良くしてくれると判断した物だけを買う、ということである。
きちんと作られたモノは使っていて嬉しい
それらに求めるのは高級品である必要はないけれど、「きちんと丁寧に作られたもの」ということである。「安いからこれでいいや」と妥協して買った物は使っても嬉しくないし、自分の生活を豊かにしてくれる気もしない。逆にきちんと丁寧に作られた物は使い手も丁寧に扱うし、使っていて楽しい。僕の持ち物でいうとグローバルの包丁とか、野田琺瑯のホーロー容器などである。
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そういう、自分自身で吟味して選んだ物が整然と並んでいる部屋での生活が楽しくないわけがない。
ミニマルライフを気軽に生活に取り入れよう
ミニマリスト、というとなんだか敷居が高そうな印象を持たれるかもしれない。しかし、佐々木典士さんほどミニマルライフを突き詰めなくとも、不要なものを処分して自分のお気に入りだけに囲まれてすっきり広々暮らす、これだけでも立派なミニマルライフである。
「サスティナブル」とか、「SDGS」なんて言葉が最近急に頻繁に聞こえてくるようになった。なんだか取って付けたような、胡散臭いニュアンスを感じ取るのは僕がへそ曲がりだからだろうか。
ミニマリストというのはすでにそれを実践したライフスタイルだ。ミニマリストとかミニマルライフなんて厳格な定義があるわけではないし、検定試験があるわけでもない。ご自身の都合の良いように解釈して構わない。ご自身の生活を快適にするために、ごく少量のエッセンスを生活に取り入れるだけでも構わない。今日から始めてみてはいかがだろうか。