楽しくないミニマルライフじゃ意味がない
所詮はミニマルライフだ
ミニマルライフを志してから5年くらいになるであろうか。クローゼットの断捨離から初めて、徐々に自分にとって必要な物を吟味して物を減らしてきた。
2年前から単身赴任を初めてからは、誰にも文句を言われないのでもう思う存分楽しんでいる。
辛いとかつまらないとか思ったことは一度もない。もしそのように感じたらすぐにリタイアするだろう。
所詮はミニマルライフである。単に、余計なものは処分して、身の回りをスッキリさせて快適に暮らしたいだけである。
ミニマリストはこうあるべきだ、100ケ以上の物をもったらミニマリスト失格だなどというものに縛られて窮屈な思いをしたのでは本末転倒だと思う。
しかし、中にはそのような窮屈な思いに苛まれて悩んでいる方もいると聞く。真面目な方なんだなあと思う。
また、ネットに出てくるミニマリストの部屋の画像を見て「つまらなさそう」と心配してくださる方もいるようである。心配ご無用である
ミニマリストが目的ではない
僕はミニマリストを自称しておきながら「モノ好き」である。身の回りに置くものは少なくしたいが、それら一つ一つには思い入れがあり、「どうでもいいや」と間に合わせで買ったものはほとんど無い。いや、たまに買うけど結局すぐに手放してしまう。
かつてはの僕の部屋は、どうでもいい物9割、好きで思い入れのある物1割という状況であった。好きな物もどうでもよい物に埋没してしまい、色褪せて見えてしまう。それでまた新しい物が欲しくなる、という繰り返しであった。
ミニマリストになってどうでもいいものを手放して行った結果、好きで思い入れのあるものの割合が増えていった。今は好きなものが8割くらいにはなっただろうか。
このような物に囲まれた生活は楽しいに決まっている。
気持ちもアガるし、物を大事に使おうという気になる。例えば靴はこまめに磨き、服にブラシもかけようという気になる(ちなみに僕はファストファッションの服は持っていない)。掃除が行き届かなくて埃が溜まっているところもない。
しかしミニマリストになること自体が目的なのではない。
どうでもいい物のキープにかける時間と労力を減らし、やりたいことにそれらを充てるための手段である。
具体的には休日は掃除洗濯はさっさと終わらせてジョギングやプール、図書館、食べ歩きに行きたい。ブログも書きたい。栃木の本宅に帰る週末も然りである。
服好きミニマリスト
月曜日の朝はいまだに憂鬱である。40代半ばになっても「また1週間が始まってしまった、早く金曜日にならないかな」などと考えてしまう。
しかし、ピシッとプレスされたワイシャツと磨かれた靴を身につければ少しはヤル気が出る。「仕方ない、行くか」という気になる。
服の力、というのは服好きにとっては間違いなくある。
ワイシャツも靴も必要最低限の数だが、それらがきちんと手入れされてクロゼットや下駄箱に整然と並んでいるのは気持ちいい。
ミニマリストと言っても様々で、ファストファッションの同じ白Tシャツを何枚も持って着回す、という方もいる。
しかし、僕は服好きだから買う時にはすごく考える。単価も決して安くはないものが多い。しかし1回買うと長く使う。物によっては10年くらいは平気で使う。そしてちょっと合わないなと感じたら躊躇なくヤフオクに出品する。
これはこれでこれで十分ミニマリズムな考えだと思う
前の記事でも書いたが、新型コロナウィルスのパニックにより、生活のスタンダードを少し変えた。1週間は食品日用品が供給されなくても生きられる程度のストックを持つようにしたのである。
実はそれさえも楽しんでやっている。楽しくなければミニマルライフなんてやる意味がないと僕は思っている。