制限があるから面白い
今日、車を運転しながらFMラジオを聴いていたら、ふかわりょうさんがゲストで出ていた。
僕はふかわさんはとても面白い人だと思っている。何が面白いって、慶應大出身だからインテリなのは間違いないのだが、世の中の見方がいい具合にひねくれているのである。知的なひねくれ、なのである。
新しいエッセイを出したらしく、そのテーマと関連づけた話をしていたのだが、その中でこんなことを言っていた。
「サブスクのような、一定の代金を払ったら後は聞き放題見放題みたいのって、却ってワクワクしないというか、むしろ恐怖に感じるんですよね。むしろ制限があるからこそ面白いというか、15曲だけしか聴けない、という方が面白い」「満たされればそれは幸せかっていうとちょっと違うと思う」などと、細かいところは違っているかもしれないが概ねそのようなことを仰っていた。
確かに、と運転中にもかかわらず両手で膝を打ちたい衝動に駆られた。
人間って実は制限があった方が面白い、制限があるからこそ発揮される能力がある、というのはまさにその通りだと思う。
例えば、冷蔵庫の中には卵と少量の野菜しかない、という状況の時に知恵を絞って作った一品が思いの外ヒットメニューだったりする。
「好きな食べ物を何個でも挙げて」と聞かれるより、「好きな食べ物を5ヶ選んで」と言われた方が真剣になるし、楽しい。ちなみに僕だったら刺身・天ぷら・カキフライ・煮サバ・レバニラ炒めを選ぶ。
だから、いざ何にお金をいくら使おうと自由、という身になったらさぞかしつまらないだろうな、と思うのである。
日本独自の自動車として「軽自動車」というのがある。これはボディサイズ・エンジンの排気量も厳しい制限があって、その代わり取得や維持に掛かる税金は安くしますよ、という、いわば60年以上前に出来た庶民に自動車を行き渡らせるための政策であった。昔は動力性能にせよ、安全性にせよ軽自動車だから劣るのは仕方ない、と見られていたが、自動車メーカーが地道な改良を繰り返した結果、性能も安全性も飛躍的に進化し、今では日本人の生活になくてはならないものとなっている。外国メーカーにはこのサイズ、この価格でこのクオリティの自動車は絶対に作ることは出来ない。いわば、軽自動車の規格といった制限があったからこそ世界に誇れるマイクロカーが作れるようになったのである。
話が飛躍したが、ミニマルライフの楽しさもふかわさんの話に大いに通ずるところがあると思う。ミニマリストという概念が出てきた当初、「持ち物は100ヶ」という極端な課題を自らに課すミニマリストがいた。実際そこまで出来る人はなかなかいないだろうが、もしも自分の持ち物を100ヶにするとしたら何を残すか、と想像することは楽しいし、自身の想像力を鍛えることでもある。
僕のクローゼットに並んでいる休日用の服は、大体各シーズン大体2着づつとなっている。週級2日だから、2着づつあれば十分間に合うのである。2着を何にするか、それを考えるのが楽しい。クロゼットの中は常にお気に入りの少数の服だけが整然と並んでいる。それはとても気分の良いものだ。
そうか、ミニマリストの楽しさってそういった面からもたらされるものもあるのか、ふかわりょうさんに大いに教えられた土曜日の午後であった。
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