今週も同じコースをジョギング出来たというシンプルな幸せ

今日は日曜日、先週とは打って変わって晴天でぽかぽかと暖かい。ルーティンのジョギングに出かけた。今年の走り納めである。

丹波島橋から見た犀川河川敷のグラウンド。少年野球やソフトボールで賑やかだ。

ジョギングでよく行くコースが、川中島の古戦場公園である。第四次川中島の戦い・八幡原の戦いに於いて武田軍が本陣を構えた地である。我がマンションから片道6.5kmほどで、ジョギングにはちょうど良い距離なのである。

公園の隅に「首塚」という場所がある。戦いで討ち死にした人が埋葬されている。きっと単身赴任していたお父さんも沢山いただろうと思う。

ここに来ると八幡社という神社に必ずお参りする。「今週も無事に来ることが出来ました、ありがとうございます」とお礼を言う。それだけである。

ずいぶん長いこと手を合せている人もいる。かつては僕自身もそうだった。「ひょんなことで大金が舞い込んで来ます様に」などと罰当たりなことを願っていた。いくら願っても大金など舞い込んでくるわけないのは解っていた。しかし、「今よりも何かしら良くなりますように」とはつい最近まで願っていたように思う。

しかし、今は何も願わない。

「来週も来れますように」とさえも願わない。だってもしかしたら明日急に死ぬかもしれないのである。その時は仕方ない。自分の寿命だと思って潔く受け入れるしかない。

今年は新型コロナウィルスのおかげで色々ひどい目にあった。それは間違いない。しかし、良いことが一つもなかったのかと言うと、決してそんなことはない。

少なくとも、死なずにちゃんと生きている。

今年、親しくしてくれた二人の知人が亡くなった。二人とも亡くなるには若すぎる年齢で、そう頻繁に会っていたわけではないが、たまに会うと僕のような者にもとても良くしてくれた。

生き残っている方の人間は呆然とする。こんなことなら最後に別れる時にもっとちゃんと挨拶をしておくべきだったとか、家族にどのように声をかければ良いのかとか、あれこれ困惑する。

しかし、それも生きている側にいるからこそ、だと思う。

かつて明石家さんまが「生きてるだけで丸儲け」と言った。当時、まだ若くて身近な人の死とか、大きな逆境に直面した経験のない僕にはいまいちピンと来なかったのだが、今となってはさんまさんの言うことが本当によくわかる。

無い物にばかり目を向ければそりゃ不幸と感じるだろう。しかし、あるものに目を向けてみよう。

いつもと同じコースのジョギングを走って、腹ペコになって好きな店でいつものメニューを腹一杯食べる。なんでもない平凡な週末だ。しかし、これは決していつまでも続くわけではない、とても幸せなことなのである。

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Tanoyatsu

40代半ば、妻と二人の女の子を残し、長野に単身赴任中。料理・掃除大好きのおばさん力高め男子。趣味は料理の他・ジョギング・水泳・乗り鉄。数年前から断捨離・ミニマリストに興味を持ち、「モノを極力持たないライフスタイル」をゆるめに実践中。