【ミニマリストやめたい?】ミニマルライフを始めて6年半、意識の変化はあったのか?

2018年の4月、長野への転勤に伴う単身赴任をきっかけに始めたミニマルライフも、6年半が過ぎた。

6年半と一口に言っても、それなりに長い時間だ。これまで生きてきた約50年の1割以上なのだから。

しかし14歳の少年が20歳になれば見違えるほど成長するだろうが、44歳の中年が50歳になったからといって見違えるほど成長するということはありえない。唯一、腹とおでこの後退だけは見違えるほど成長する危険があるけど。

僕の場合、単身赴任を始めて以来、休みの日は暇なのでジョギングや水泳を続け、今年からはジムにも通い始めた。そのお陰で体型は6年半前より改善されている。30代後半から気になってきたおでこの後退も、ここ数年服用しているミノキシジルのタブレットのおかげでなんとか食い止められている(と自分では思っている)。

間違いなく衰えたのは目だ。この一年で急激に近くのものが見えづらくなってきた。徐々にではなく本当に急に来たので驚いた。それともう一つ衰えを実感しているのが…ええと…やめておこう。

話が脱線したが、今回はミニマルライフを始めて6年半が経過した僕が、ミニマルライフに対する意識に変化があったのか、あるいはもうミニマルライフには飽きて辞めてもいいかなと思っているのか、その辺りを赤裸々に書いていきたい。

ミニマルライフに対する考え方に起きた変化

ミニマルライフを志して最初の頃は、いかに身の回りの物の数を最低限まで減らせるか、ということが刺激的で実に楽しかった。いわば「ミニマル・ゲーム」を楽しんでいたのだ。

しかし、刺激的なことというのは続けているうちに例外なく飽きてくる。最初の頃は刺激的と感じていたことがごく当たり前になってしまう。

洗濯機のないがらんとした洗面所は新鮮な景色だったが、一方で週末にいちいち洗濯物をコインランドリーに持って行くことが面倒臭く感じるようになってきて、洗濯機を購入した。

徐々に「ミニマル」の対象が、物そのものの数ではなく、「日常生活の中での面倒なこと」に変化していったのだ。

また、当初は食料品も必要最低限しか買わなかったので冷蔵庫はスカスカだった。これまた新鮮な光景だったのだが、相次ぐ自然災害や新型コロナパニックで当たり前のように食品が常に手に入る状況は一瞬にして当たり前ではなくなるのだということを実感し、買い物が出来なくても3日くらいは食いつなげる程度の食品は常備するようになった。

ミニマルライフも6年半を経て、少しは成長・成熟したと言えるのかもしれない。あるいは見る人によっては、鈍ったと言われるのかもしれないけど。

正直、ミニマルライフを辞めたくなったことはあったか

ミニマルライフをやめようかと思ったこと一度もない。

ミニマルライフの清々しさ・快適さを知ってしまえば、これは死ぬまでやめられないだろう。

ただし、この6年半の間でもあったように、ミニマルライフへの考え方が少しづつ変化して行くことはあるかもしれない。それはそれで良いと思っている。

また、今の僕は多くの物を必要とする趣味を持っていないが、もしかしたら釣りなど、新たに多くの道具を必要とする趣味に目覚めるかもしれない。そうしたらミニマルライフとはもう決別しなければならないのかというと、そんなことはない。それらは今の自分の生活を楽しくするために必要な物だからだ。ただし、もう使わなくなったものは潔く手放す。これさえ守れていればミニマルライフは十分楽しめる。

ミニマルライフを他人に本気でお勧めできるか

ミニマルライフは、特に僕のようなものぐさな人には心からお勧めしたい。

ミニマルライフは、単に身の回りの物の数を減らすゲームじゃない。生活の中の「面倒臭い」を最小限にすることを目的に、身の回りを今の自分にとって本当に必要な物に絞り込んでいくことだ。

面倒臭いことを解消してくれそうな便利グッズは世の中に沢山ある。それらを揃えれば面倒臭いことが解消するかというと、実はそうではない。物が沢山あるってすごく面倒臭いのことなのだ。

ミニマルライフなんて全然ハードルが高いことではない。興味があれば、まずこの春夏一度も袖を通さなかった洋服の処分から始めてみてはいかがだろうか。

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Tanoyatsu

40代半ば、妻と二人の女の子を残し、長野に単身赴任中。料理・掃除大好きのおばさん力高め男子。趣味は料理の他・ジョギング・水泳・乗り鉄。数年前から断捨離・ミニマリストに興味を持ち、「モノを極力持たないライフスタイル」をゆるめに実践中。