令和元年台風19号による洪水から一年が経った②

栃木県北部の本宅から長野のマンションまでは約270km。通常であれば3時間半かかる。
しかし、高速道路は全区間で通行止め、途中の国道も冠水によって大渋滞していたりして、実に8時間以上かかってようやく長野に到着した。
ヘトヘトである。
とりあえず会社に行き、会社と社員の無事を確認した。
千曲川の堤防が決壊して新幹線が水没した地区は会社から10kmほど離れている。その地区には多くの得意先もある。一昨日も行ったばかりだ。
心配ではあったがこの状況では連絡も出来ないし、連絡出来たとしてもいまは迷惑なだけだろうと思い、とりあえず帰宅した。
思いがけず、3連休の2日目の夕方に単身赴任先に帰って来てしまった。しばし呆然とする。
その後、僕は今思えば奇妙な行動を取ったのである。
おそらく高ぶった気分を鎮めようとしたのであろう。ヘトヘトだったにもかかわらず、車をいつも言っている市営プールに走らせ、一心不乱に泳ぎ始めた。普段の週末通りの行動をすることで、精神を通常モードに少しでも戻そうとしたのである。呑気に泳いでいる場合ではなかったのだが。
小一時間ほど泳いで、すっかり気分は落ち着いた。大浴場で体を温めて、帰ろうとふと携帯を見たら妻から何回も着信が来ていた。
無事に到着したか心配した妻が何度も電話をくれていたのである。しまった、到着の連絡を忘れていた。妻には余計な心配をかけてしまって、今でも反省している。
あの日から一年が経った。
その間、1回だけだがドロ掻きのボランティアに行った。被災地にあった我が社の得意先は多くが廃業し、この地区の売り上げは激減した。
洪水の被害がひどかった穂保・長沼地区はしばらく乾いた泥から巻き上がる土埃が酷かったが、今ではすっかり綺麗になった。一面に広がるリンゴ畑のリンゴの木もタワワに身を実らせている。
しかし国道から一歩入ると、空き家が目につく。比較的新しい住民を中心に、多くの住民が川から離れたところに引っ越してしまった。
その一方、同じ地で逞しく生活の再建を果たした人、手のつけようのない泥まみれのところから時間をかけてやっと営業を再開した店も沢山ある。
一夜の災害で多くの人々の人生が変わる。そしてその様な災害は毎年どこかで必ず起こっている。それによって亡くなってしまう人、再建を諦めて他所へ移る人、そこでの生活を再開させる人、様々だが、人間とは何とも儚く、そして同時に逞しいものだと思う。
令和元年10月13日は人生において決して忘れられぬ1日となった。